映画「太陽の子」:若者にとって戦争が人生となってしまう酷さ
映画「太陽の子」の作品情報
放映:2020年 / 113分 / ジャンル: 邦画
原作 / あらすじ
脚本は大河ドラマ 青天を衝けのチーフ演出を務めた黒崎博(NHK)。2020年8月15日にNHKにて制作放送された終戦の日ドラマ放映後、異なる視点と結末を加わえた完結版として映画公開された。
1945年の夏。軍の密命を受けた京都帝国大学・物理学研究室の若き科学者・石村修(柳楽優弥)と研究員たちは、原子核爆弾の研究開発を進めていた。
研究に没頭する日々の中、建物疎開で家を失った幼馴染の朝倉世津(有村架純)が修の家に居候することに。時を同じくして、修の弟・裕之(三浦春馬)が戦地から一時帰郷し、久しぶりの再会を喜ぶ3人。ひとときの幸せな時間の中で、戦地で裕之が負った深い心の傷を垣間見る修と世津だが、一方で物理学に魅了されていた修も、その裏にある破壊の恐ろしさに葛藤を抱えていた。そんな二人を力強く包み込む世津はただ一人、戦争が終わった後の世界を見据えていた。それぞれの想いを受け止め、自分たちの未来のためと開発を急ぐ修と研究チームだが、運命の8月6日が訪れてしまう。日本中が絶望に打ちひしがれる中、それでも前を向く修が見出した新たな光とは–?
予告動画
個人的感想・評価
原爆被爆国である日本人でも、密かに原爆開発が進められていたと言う史実はあまり知られていないかもしれない。
それもそのはずで、大学の学生を主とした少数の研究者が、わずかばかりの原子材料を使って開発したところで開発が進むわけはなく、アメリカによってとっくの先に開発された原子爆弾によって日本は敗戦してしまったのだから…。
この作品は、戦争ものではあるけれど爆破や戦闘などの凄惨な描写はほとんど無い。制作秘話にこのような記載があった。
広島の図書館で、ふと目に留まった『広島県史』という資料集を開き、収録されていた京都大学で原子物理学を専攻する若き科学者の日記の残片を目にし、そこに何気ない言葉で綴られた、科学に情熱を注ぐ若者の当時最先端の学問・原子物理学に対する憧れと兵器転用への葛藤、一方で今日何を食べたか、どんな人が好きかといった等身大の青春に心を揺さぶられ、「この若者たちの物語を形にしたい」と思い立つ
研究者として核爆弾を開発する兄と、軍人として戦地で戦う弟を主軸に、当時の青年達がどうやって戦い死ぬかに悩む様や、たくさん子供を生んで国に捧げることが夢だ語る少女たちや、研究者として徴兵を免れている学生たちの葛藤など…
狂った戦争が続いたことで、戦争が日常となってしまう怖さと国民の人生観が戦争ありきになってしまう酷さがよく分かる作品だった。
再び出征した弟の裕之(三浦春馬)が間もなくして特攻死した後、修(柳楽優弥)が原爆投下を間近で見て原爆開発の研究材料にすると決めたのは、自分が研究者として死ぬことを決めた男としての覚悟だったのだろうと思う。
一方この作品の中で、描かれた女は男とは違う強さがあった。
男たちが命を賭けることばかり考える中、戦後の未来を生き抜く術を考え語った世津(有村架純)は現実的で強い。
また、出征するに裕之に声をかけることも抱きしめることもしなかった母親(田中裕子)は、息子が帰ってくることを密やかに強く望んでいたからだと思う。疎開を断り、父や弟と同じく戦争で命を賭すと言った修の側に残ると決めたのも母としての覚悟に見えた。
本作で母親役の田中裕子は、少ないシーンとセリフのみながら圧倒的な存在感があってさすがだった。個人的に、日本のお母さんは田中裕子が最強と思っている。
母が出生する裕之へ握ったのと同じ大きくて白い握り飯を頬張るだけの長回しのシーンは、修の心の機微をよく表現できていたと思う。
全体的に説明描写が無いせいで比叡山でのラストシーンの解釈(終戦を迎えた?)が難解だったのは少し残念かも。
どうしても外せない情報として、三浦春馬出演の最後の公開作品と名が知れているのだけれど、(兵士として)死に行く役柄を演じているところが切ないところ。
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